拝啓、渋谷すばる様
私はずっと、あなたになりたかった。
いつも周囲を強く惹き付けるあなたに、自分の知らない街の空気を色濃く纏ったあなたに、ずっと憧れていた。
あなたのように歌いたかった。憧れれば憧れるほど、あなたが歌に選ばれた特別な人だということが分かって、辛くなるぐらいだった。
あなたの真似をして背中を丸めて歩いた。前髪をわざと歪に切った。深爪するまで爪を切った。似たようなネックレスを買って身につけた。あなたのような長いまつ毛が欲しかった。綺麗な歯並びが欲しかった。華奢な骨格が欲しかった。自分の気持ちをまっすぐに受け止めてくれる仲間が欲しかった。自分の気持ちに正直に生きる強さが欲しかった。
あなたがグループを辞めると言った時、ああ、終わるのだと思った。小学生の時に好きになった8人組との毎日は、助けられ励まされ一緒に生きてきたと勝手に思っている毎日は、とうとう終わるのだと。
どうしても思い出してしまうのは、13年前のこと。12歳だった私にとっては大きすぎる出来事だった。
子供だったから、しばらく食事が喉を通らなくなるくらい激しく動揺した。
子供だったから、何が起きているのか理解しようと必死で、関連する新聞記事をかき集めて何度も何度も読み返した。
子供だったから、きっと彼は元の場所へ帰ってくるはずだと信じて疑わなかった。
でも結局、7人と1人は、別々の道を歩くことになった。
経緯が経緯なだけに、関ジャニ∞は8人組のまま7人になった、という感覚があった。『さよなら』も、『最後の日』もない、ピリオドのない別れ。そのぶん辛く感じたこともあったけれど、みんなが何も言わずにいてくれたおかげで、自由に考え、自由に苦しみ、受け止めることができたと思っている。仮にそうするしかなかっただけだとしても、そう思いたいのだ。
でも今度は違う。
第一報を聞いて、私は全ての情報を一旦遮断した。
大人になっていた私は、関ジャニ∞にがっかりするのが怖かった。
大人になっていた私は、いつも萌えや興奮を分かち合う友人たちが悲しむところを見たくなかった。
大人になっていた私は、このまま、昨日までの気持ちを冷凍保存したいさえと思った。
でも、今日という日を迎えた私は、どこか晴れ晴れとした気持ちでいる。それは、あの日から今までのあなたとあなたたちが送ってくれた言葉や、見せてくれた笑顔のお陰だ。あなたたちはいつだって優しかった。それぞれにそれぞれの苦しみがあっただろうに、優しくいてくれた。その優しさは取って付けたようなものじゃなくて、今まで見てきた関ジャニ∞の続きにあるものだった。
終わらないんだ。
隣に並ばなくなったから、全てが終わるわけではない。目に見えるかたちがすべてではない。一度好きになったものは、好きで居続ける限り、終わることはない。未来のことはわからないけれど、少なくとも今の私にはそう思える。それが嬉しいことなのか、悲しいことなのかは分からない。
私が大人になる過程で、『世の中には白黒つけられないこともある』『どんなに願っても、叶わないこともある』と教えてくれたのはあなたたちだった。そして、願いが叶わなかった先にも、美しい世界はあるのかもしれないと思わせてくれたのもあなたたちだった。正直、ものすごく怖いけれど、それでも一歩踏み出す気持ちになれるのは、あなたたちがいてくれた月日があるからだ。
こうして、自分の気持ちに整理をつけたいが為の文章を、あなた宛のものとして書き記してしまったことを許してほしい。哀しみも不安も確かに存在するけれど、あなたとあなたたちへの感謝と、大好きだという気持ちと、未来への希望に満ち溢れているこの『今』を、下手くそだけれど言葉にして、残しておきたかったのだ。
もうあなたは歌に選ばれた人ではない。自ら歌を選んだ人だ。私は、あなたの歌声が、まだあなたのことを知らない誰かの心を、世界のどこかで膝を抱えて泣いている誰かの心を、満たし救うことができるはずだと本気で信じている。
あなたの歌声を待っている人が、この世界には必ずいる。
さあ、もう時間だ、早く行かなくちゃ。
遠くで誰かが今、きっとあなたを呼んでいる。
石橋を叩いて渡るジャニヲタ、TEAM NACS沼に飛び込む
NACS沼に飛び込んでから、3ヶ月が経った。
新しく何かを思い切り好きになるのは久々で、アイドルではない人のファンになったのはほぼ初めてのことだった。
振り返れば私は、4歳でSMAPを好きになり、8歳頃にはすでにジャニーズの各グループに「推し」的な存在がいて、11歳の時に関ジャニ∞と出会ってからはずっと人生を支えてもらいながら(©️松岡茉優)、気付けば社会人になっていた。
途中、20歳でA.B.C-Zに魅せられたことをきっかけに広くジャニーズに対する知識を深めてしまい、友人たちからは冗談で『ジャニペディア』とあだ名をつけられた。その響きに満更でもない顔をしながらより広く浅く色んなグループの曲を聴き、それぞれのパフォーマンスを楽しんだが、それ以上担当を増やすことはなかった。
どこかで、先に知ってしまうことで夢中になるのを避けてきたようなヲタク人生。沼の周りを踏み固め、迂闊に足を取られないようにしていた、と例えられるだろうか。
そんな私なので、NACS沼の前でもだいぶ足踏みをした。その足踏みの過程を振り返り、整理して残しておきたいと考え、今この記事を書いている。
先に断っておくがかなり長い。そして文章のレベルが死ぬほど低い。あくまで自己満足の備忘録であることをご了承いただきたい。